2002年ソウル公演紀行記 No.1
ソウル公演を終えて
Bas 大友 克己
なんと心優しい人達だったろう。 合唱団をはじめ公演に関わった人達、街ですれ違った人々の顔を思い浮かべては胸が温かくなる。 帰国の日の早朝、バスが動き出す迄の長い時間、雨の中、傘を差して立っていた彼女の姿が目に焼き付いて離れない。彼の地で 失われた日本の良き気風に再び触れようとは夢にも考えて居なかっただけにこの思いは殊のほか強い。
滞在中、段々咳が激しくなり(煙草が不味くならなかったので風邪ではないと自己診断したが)本番は演奏の妨げになってはと思い、出場を辞退。代わりに客席で全演奏を味わう予期せぬ幸せを享受できた。GP迄は彼らの素晴らしい声に挟まれて歌えたし 二度楽しんだ感じがする。
半年振りに聞く彼らの歌声は相変わらずすごいの一語。 オケは期待外れであったが、「第九」ではトップクラスに続く二十歳そこそこの若い顔が多く加わり、体型は我々と変わらないのにその圧倒的なパワーに驚いた。 技術を超えた民族の体質の差としか考えようがない。
本番の「岬の墓」はとても良かった。出発前、日本のプロ合唱団が歌うCDを何度も聞いた。確かにうまいのだが、演奏がどうも好きになれなかった。洗練された声なのに味がない。今回は初のオケ付き演奏。 編曲者が郡司先生の親しい人だと困るが、編曲は平坦で面白くない。
全体に三連符が耳に響かず、牧子先生のピアノの音が正面に出たらなぁと思ったものだ。 しかし、コーラスがそれを補って余りあり、各パート5人の加勢に負う所が大きかっただろうが、表情豊かに全体の曲の流れを歌い上げていて声の響きも耳障り良く、我が意を得たりと客席で思わずニンマリ。録音が手に入ればもう一度聞いてみたい。演奏直後の拍手と歓声はその前の「コリア・カンタータ」の時より一段と大きかったのには少々驚いた。 失礼ながら子供も多く、「第九」の途中で大きな拍手が沸き起こる程度の聴衆、初めて聞く日本の合唱曲に敏感に反応したとは思えない。
ギクシャクした日韓関係の中で暖かく我々を迎えた韓国大衆の心の一面を感じて嬉しかった。
終演後のレセプションでソロを務めたバス2人と話す機会があった他、度々彼らと一言二言言葉を 交わす事があったが、今直ちに世界の桧舞台に立つだけの実力の持ち主なのに尊大ぶる態度は微塵もなく、たかがアマチュアに過ぎない我々に親しげに接するのは何故だろう。日本では考えにくい事。昨年の共同公演の前後、日韓オペラの推進に尽力した「ジロー賞」の沖氏の通夜か葬儀に重なっていた事を思い出す。 単なる民間交流の視点に止まらず、「恵まれず眠っている多くの才能」を日本に紹介し、更には世界に送り出す事に目を向けるべきではないだろうか。日本人だ、韓国人だと区別する時代は過ぎた。彼らを我々の演奏会のソリストに迎えたい。会場となった立派なアートセンター、市内での見聞の数々等、書くべき事は山ほどあるが省略。
今回の公演に参加したのは韓国合唱団との再会が念頭にあったのは当然だが、個人的には「閔姫(ミンピ)」暗殺現場を訪れたいと言う密かな願望があったからでもある。閔姫事件を知る日本人は極めて少ないようだが、これは日韓併合の15年前、時の駐韓田中公使を首謀者として軍人、警官、民間人、そして数人の親日韓国人も加わった一団が王宮に押し入り、国王の妃、閔姫を惨殺、その場で遺体を焼き捨てたと言う途方もない事件であり、韓国人に日本に対する深い憤りを植え付けた諸々の事件の一つ。 民間人に若かりし与謝野鉄幹の名がある事を知ったら驚かぬ人はいないだろう。
売店のおばさんに教えられて訪ねた現場は「景福宮」の奥まった一角にあり、訪れる人影は思いの他少なく、石碑と傍らに小さな祠がひっそりと佇むのみ。祠の中には襖2枚大の絵が二つ。一枚は閔姫に切り掛る場面、一枚は遺体を焼く焚き火に手をかざし暖をとる暴漢の姿。到底正視できるものではなかった。私自身が手を下した訳ではないが、身の置き所なく申し訳ない気持ちがこみ上げてくる。
実質4日の滞在期間中、自由時間はオプショナルツアーを敬遠して自由行動。市内の「昌徳宮」、水原市の「華城」の二つの世界遺産は素晴らしかったが、貞洞劇場で観覧した打楽器を中心とする民族伝統楽器の合奏には感動を通り越して、彼らの音楽性、溢れ返る熱気と強烈なエネルギーにただただ息を呑むばかりだった。 再訪の機会があったら、是非一見をお勧めしたい。
4日間に84,464歩を記録。 短い時間であったが予想を遥かに、はるかに上回る収穫があった。このような機会が得られた事に対し先生をはじめお世話下さった皆様にお礼申し上げます。
韓国における歓喜
早瀬スザンナ、2002年5月
私にとって初めての韓国旅行でした。私は大きな期待に胸を弾ませて、合唱団の仲間と指導者の郡司先生と共に5日間にわたる韓国公演旅行の準備を調え,遂に飛行時間2時間21分で成田からソウルに到着しました。
私たちの旅行はよく準備ができていて、到着するやいなやソウルの主催者、指揮者、音楽家たちの温かい歓迎を受けました。時間が遅かったので直ぐホテルに向かいましたが、途中で代表的なレストランに立ち寄り、初めて本格的な韓国料理を味わいました。美味しかった!その後はバスから初めて見る様々な光景やソウルの下町のカラフルな明るいパノラマを楽しみ、感嘆することしばしばでした。この初めての長い一日が終わると、私は同室の友人と共に快適な大学の迎賓館でゆっくりと眠ることができました。その後のソウルでの毎日は刺激的な冒険に満ちていました。毎朝、優雅な大学のレストランで早朝からヘルシーな朝食を取ることから始まり、間もなくソウルの優れた交通機関を利用することを知った我々は毎日リハーサルやショッピング、観光に出かけました。力のこもったエネルギッシュな若いソウルの合唱団と共に行われたリハーサルは特に気分爽快でした。ツアーのガイドさんの計画に従って毎日のように様々な文化に接することができました。
日曜日は大きな一日観光に出かけ、2つの韓国の間にある非武装地帯近くの区域を見て歩き回る機会があり、展望台にある多数の望遠鏡で北側の生活をかいま見たりすることができました。私はドイツ人としてこの隣人の間を不自然に分断している様子や平和な関わり合いや交流の見込みがまだまだ薄い様子を見て本当に悲しく思いました。「平和な橋」が間もなく実現されますように祈ります。その日は遅くなってから興味深い民族博物館を訪れたり、若い韓国の踊り子による生き生きとした野外演奏を見たり、美しい庭や、神社、大きな古い宮殿の門を見て感心したりしました。私が特によいと思ったものは多数の屋根飾りの色彩に富んだ対称的デザインでした。美味しい韓国の焼き肉や韓国温泉でのエステがこの盛りだくさんの一日の最後を飾りました。しかし、私たちの旅の重要な日であるジョイントコンサートは5月6日の月曜日に行われることになっていて、最後のリハーサルの後、韓国の指揮者チェ先生と郡司先生の指揮により行われた美しいコンサートは大成功でした。韓国語と日本語とドイツ語でこれらの特別な曲を歌うとは何という喜びでしょう。大切な相互理解を一段と深めたこのような友情を育むイベントの一助となれたことを私はとても名誉なことだと思いました。これからもシラーの有名な言葉「Freude…歓喜・・・」を共に歌い言い表すことのできる機会がもっと増えることを希望します。 (訳:川本)