ドイツオランダ紀行
〜5〜

『マーストリヒト公演と私』
E.J.ファン ヘルヴォールト

1 公演決定まで

マーストリヒトに日本の合唱団を呼ぶ計画はほぼ2年前にさかのぼります。西暦2000年に は日本とオランダの国交400 年の行事があることはわかっていましたから、1998年の春、 郡司先生に記念コンサートはどうかと相談したのがきっかけでした。最初はオランダで2 か所、マーストリヒトとオランダ北部の都市でそれぞれ1 回の計画を立てましたが、北部 都市の合唱団がプラハに行く日程と重なったりして実現しませんでした。しばらくして、 先生からケルンの話があることを伺い、ケルンとマーストリヒトは距離的に近いので大へ ん好都合と考え、98年10月、マーストリヒト市に説明し、意向を聞いてみたところ、「プ リンシプルオーケー」ということになりました。その後、約半年して99年3 月、私がオラ ンダに行ったとき、初めてセルペンティさん(Mr.Peter Serpenti,カペラの音楽監督、今度 の公演のドイツレクイエムの指揮者)とボーヴェンスさん(Mr.Bovens マーストリヒト市 の副市長、共演した合唱団カペラ サンクティセルヴァティイの会長、私の友人、父親同 士も友人)と話しました。二人とも「やってみたい、ぜひ来てください」とのことで、セ ルペンティさんは「ドイツレクイエムをリクエストしたい。ドイツレクイエムはマースト リヒトで聞く機会が少ないし、やってみたい。私たちの教会によく合うと思う」といわれ ました。具体的なことはこれから詰めることにして、郡司先生も大筋についてすぐオーケ ーされ、3月の公演開催がほぼ決まりました。

2 公演までの準備

マーストリヒトの人たちは、のんびりした風土の中で暮らしています。開催は決まって も約半年、あまり動きはありませんでした。8月に郡司先生がザルツブルグのあと、カレ ンさんとマーストリヒトに行って下さいましたが、私は行けませんでした。旅行のこと、 移動のこと、ホームステイのこと、歓迎パーティーのこと、ホテルのことなど具体的なこ とがたくさんありましたがEメールで済ませました。Eメールは瞬間的に飛んで行くので すが、返事は2週間に一度くらいのペース、悠々としていました。一つには、郡司先生は なるべくフリーにして下さい(歓迎行事や観光に頭を使わないでほしいという意味)と言 われ、それが関係者に伝えられていましたから、安心していたのかも知れません。ホーム ステイが中止されたのは、100 人もの日本人を受け入れるのは市が始まって以来初めての こと、日本人にまったく慣れていません。優しい人たちか、ひどく無口な人たちか、まし てアジア人の好む食べ物など想像もつかなかったことがその理由らしいのです。

準備で彼等が一番心配したのは、セントセルファース教会が使えるのかということでし た。事実、教会の神父のオーケーが出ず、2月まで決まりませんでした。この教会は生き た信仰の場であるからです。宗教的使用目的が最優先で、たとえ宗教曲のコーラスでも音 楽コンサートでは使えないというルールがあるのです。ブラームスのドイツレクイエムだ から使えないということとは全く違います。カソリックもプロテスタントも同じキリスト 教であり、その区別でルールが変わることはここではありえません。何であれ、マースト リヒトでは、ドイツレクイエムを教会で演奏したのは今度が初めてです。何かと戸惑いが あったとしても、ちっとも不思議ではありません。キリスト生誕2000年であり、蘭・日国 交400 年だからできたともいえますが、もともとこの曲は難しいので、この曲がコンサー トでとりあげられることは少なかったのです。コンサートに必要なお金の問題もありまし た。市の費用も出ましたが、コンサートを支えたのはスポンサー組織でした。音楽の好き な人たちが、スポンサーになったり、スポンサーを探したりして、金を集め、チケットを 引き受けます。(私も昔の教え子たちに頼みました)。このスポンサー・お客さん・教会の オルガナイザーを副市長がつとめたのです。

3 教会と教会合唱団

コンサートの会場となったセントセルファース教会が、ほぼ今のような形になったのは 1200年頃、その前の創立期から数えれば1000年の歴史があり、建物に積もる埃(ほこり) のうち古いものは1000年そのままということになります。この埃が曲者です。私の若い頃 は、聖堂内の残響 4〜5 秒といわれていました。それが今から約20年前、火災があって改 装と大掃除が行われ、埃が取り除かれた結果、残響が12秒にもなってしまったというので す。よく、大聖堂では、年に一度だけクリスマスの日に、大勢の人間とその厚い着衣に音 が吸収されて、残響が短くなるといわれますが、この教会にもう一度、ほどほどの埃がつ くには、少なくとも100 年かかるそうです。埃も1000年ともなれば偉大なものです。

教会合唱団カペラ サンクティセルファティイにも偉大な歴史があります。1994年、こ の合唱団は創立120 年を迎え、記念行事を行う予定でした。ところが、市の保管庫の古文 書の中から創立は1808年であるという文書が発見され、94年時点で創立186 年であるこ とが分かったのです。1808年といえばナポレオン ボナパルトの絶頂期、8年後の2008 年には盛大に200 年祭があることでしょう。

4 コンサートの評判

今回のコンサートが終わってから、約20人の知り合いの人に感想を聞いてみました。ま とめて一言でいうと、「とても気持ちよく聴いた」ということでした。音楽に特別の知識を 持たない一般的市民が、この演奏を聴いて非常に喜びました。指揮者のセルペンティさん が言った「ドイツレクイエムは、マーストリヒトの私たちの教会によく合う」という言葉 の意味がよく分かりました。音楽のプロには「楽譜にないバスの『ピアピアピアニシモ』 があったね」と冷やかされましたが、その彼も、「ふつうのお客様は、そんな『超ピアニシ モ』全く気にしなかった。難しいレクイエムを楽しんでいたよ」だそうです。

マーストリヒトにはコンサートホールもあります。コンサートホールでやれば、残響の問 題もなかったかも知れませんが、初めて教会でブラームスを聴いた市民の満足感は大きか ったと思います。4月はイースターの月ですから、毎年宗教曲の演奏会が集中する特別な 月ですが、東京と同じ人口のオランダ全土で、去年4月、「マタイ」はなんと660 か所で演 奏されたそうです。つまり誰でも知っているという状態、それと比べたらドイツレクイエ ムは誰も知らないという状態、マーストリヒトの教会でブラームスをやって本当によかっ たと思います。市民が喜んだ様子は、歌った皆さんが一番よくごらんになったでしょう。 あの拍手。通路に飛び出してきた市民。私も嬉しかった。

5 マーストリヒトの人たち

私が生まれたのはマーストリヒトではありませんが、母の家系は、14〜18世紀ごろマー ストリヒトで船を持って、南フランスやロッテルダムと交易していたと聞いています。今、 ヨーロッパ全体が勘定高くなってギスギスしてきているとき、マーストリヒトの人たちと 会うとほっとします。今度の海外公演の準備も大変だったでしょうとよく言われますが、 Eメールの返事がほんのちょっとゆっくりだったこと以外は、全然大変じゃありませんで した。観光局のファン レイフさん(van Lijf, 私の親友)は、いつも「大丈夫よ」「心配な いよ」を連発して私を落ち着かせてくれました。3 月19日、オランダ側の歓迎ティーパー ティーで、オランダ人と日本人の席を「まぜこぜ」にする郡司先生の提案を推進・実行し たのは彼です。あれはとてもよかった。あれでオランダ人の頭の中は「謎の東洋人」から 「日本人はやさしい」に変わったのです。こんな話もあります。コンサートのオケ合わせ の日、私たち合唱団は教会の前庭で体操をしました。集団で体操をする姿は取り囲んだ大 勢の市民に大変珍しい光景だったようです。市民の一人は、これが明日教会で行われるパ フォーマンスの練習だと思い、こともあろうに、リーダーのようにみえた指揮者のセルペ ンティさんに「チケットはどこで買えるか」と聞いたそうです。彼は本当にコンサートに 現れ、体操がないことに軽く失望しながらも、ブラームスに聞きほれて笑顔で帰っていっ たそうです。ほのぼのとする嘘のような本当の話、オランダでは誰もが「マーストリヒト は人間がいい」といいます。そのマーストリヒトの人たちが残念に思ったことはただ一つ 「日本人という『人間』と個人的にゆっくりお話しができなかったこと」。また会いたいと 皆言っています。